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父の命日(3回忌)    04/15/2006
先月3回忌の法要を済ませましたが
実際の命日は本日4月15日でありまして。

あんなに悲しくて泣いてばかりいたわたし…
といってもさほどファザコンってほどでもなく
むしろ逆に父のことを苦手に思っていたわたしなんですがね。

そんな父が亡くなった日の様子を書いた日記のファイルがまだ残ってました
前に公開していたホムペの中の父のことを綴った日記に書いてあったものです。




4月15日(木)

用事で病室へいけなくなった母に頼まれ午前中は
わたしが父を看てあげ、午後から勤務に入った。
父の様子が気になり落ち着かない気持ちで仕事を終えて帰途についた。
いつもなら仕事帰りに父に会いに行くのだが
今日は弟が大阪から名古屋の本社へ来ていて
そのあと父に会いに来るというので早く家に帰り
弟と母にたけのこごはんを作ってあげた。


午前中の父の状況がかなり厳しそうだったので心配だったけど
弟が来たら久しぶり親子4人の時を過ごせるので
はやる気持ちをおさえて家の用事を済ませた。

6時か7時には弟も仕事を終えて電話をくれる予定。
しかし時間になってもなかなか連絡が来ない。
7時半になっても電話が来ない。

家で待ってても落ち着かないので父の所で連絡を待とうと思い、
たけのこごはんをおにぎりにしてクルマで病院へ向かった。

クルマを降りて入り口に入った所で母から携帯に電話が入った。
「yukipooまだ来ないの?T(弟)は来てくれるの?
家族4人で居られるのはもしかしたら最後になるかもしれないから
今日は必ず来るように言いなさい」
と言われた。
「今、下にいるよ。Tは来るって言ってたから」
と電話を切って病室へ。。

ドアを開けると明らかに昼とは状況の違うことがわかった。
心電図を着け呼吸の仕方が昼のときとは違う。

「お父さん!yukipooやよ!yukipooが来たよ」
と母が言ったら父は頷いてくれた
「ちゃんとわかるみたいやね。yukipoo、お父さんに声かけてあげて」

お父さんの横に行って手を握って
「お父さん、yukipooやよ。わかる?」
と聞くとしっかりうなずいて手も握ってくれた。

「もうしゃべることは出来ぃへんけどこっちの言ってる事はわかるみたい」
と母が言った。

もう声が出せる状態ではない。
呼吸もゼロゼロという音がして本当に苦しそう
痛いのか苦しいのかそれとも悲しいのか目が涙で一杯になっている。

母に小声で
「お父さん…いつまでなの?」
と聞くと
「明日頃て先生から聞いたよ…」
「明日か…」

本当に今日は最後の4人で過ごす夜になるんだな
私も覚悟を決めた。
もうこれ以上何日も父が苦しい思いをするのはかわいそうだ。
悲しいし寂しいけどもう楽にしてあげたい。

8時頃にやっと弟から電話。
8時半頃にJRの駅まで迎えに行くため8時20分に病室を出て行った。

弟をクルマに乗せ再び病院へ
途中で弟が
「親父どう?」
と聞いてきた。
父の厳しい状況を話すと弟も動揺するだろう。。
「うん、変わらず。。かな。」
と濁しておいた。
今まで仕事をしていておなかも空いているだろうからと
持って来たおにぎりを食べさせて病院へ着いたら
「実はお父さんね、明日だって。。」
と打ち明けた。

弟の顔が神妙になった。。。

病室に入るとまた母が
「お父さんTが来てくれたよ。Tだよ?わかる?」
返事を返してくれた。。
よかった、まだ意識はあるのだ。

母に似てあまり感情を出さない弟が涙ぐんでいた。
「お父さん、俺だよ。わかる?」
やはり返事をしてくれる。
「あのな、K子(お嫁さん)2人目出来たで。12月に産まれるで」
今日K子ちゃんに2人目の子の妊娠が発覚したのだ。
こんな悲しい状況での報告になるなんて。

「お父さん聞いてる?お父さんの孫が2人になるよ。
よかったね!今度はどっちだろうね~」

皆でお父さんを呼び続けた。

9時半過ぎに夫も来てくれた
「なんだか落ち着かなくて…」
と会いに来てくれた。

夫が父の手を握り声を掛けた
しっかりと握り返してくれたらしい。

父は夫のことをずいぶん気に入ってくれ
わたしが一人で行くと必ず
「Yちゃんは元気か?Yちゃんは今日は仕事か?」
と気にかけていたものだ

すると担当の看護師さんが父に会いに来て下さった。
手を握って私たち家族に
「お父さんね本当によく頑張ったんですよ。
痛くてしんどいのに本当によく我慢して頑張ってたんですよ」
と話してくれた。
そして父にも
「Mさんよかったね。娘さんと息子さん来てくれたねー」
と声をかけてくれた。

「お父さんね私と2人になるといろいろお話してくれてね。
美容師の娘さんと転勤で大阪に居る息子さんがいるって。
それでね私が2度ほどシャンプーしてあげた時に
『ごめんね娘さんみたいに上手にできなくて。
娘さんやったらきっと上手にやってくれるね』
て言ったらニコッと笑ってたんですよ」

「お父さんったらそんな話ししてたんですか?」
と思わず聞いた。
あの父がそんな話をしてたなんてちょっと信じられなかった。
「そうですよ~うれしそうに話してましたよ。
あと3月にお母さんとの結婚40周年ですってね。
もうお母さんの事ばかり気にしてね。
ある日にね、お昼お母さんが用事でおうちに帰られた時に
『お母さんお母さん』
て言われるから電話して急いで帰ってきてもらったのよ」
とも。。

今まで結婚記念日のこと口にしたこともないくせに。。
ちゃんと覚えてたんだ。

父ったらそんな風に家族の事を話してたんだ…

夜10時になったので
「Yさんもう遅くなるで帰って休んで。
またお世話にならなきゃいかんから。。」
と母が夫に家に帰るよう促した。

夫が名残惜しそうにしていると段々父の呼吸の間隔が変わって来た。

そう思っている所に先程とは別の看護師さんが入って来た。
ナースステーションのお父さんのモニターに異変があったのか?

脈を見たりしながら
「段々血圧がさがって来てまして。。脈も弱くなってますね。。
先生を呼んできますね」
と言い残し出て行かれた。

やがて主治医の先生と看護師さんがいらした。
首の脈を触りしばらく様子を見ていた。

先生に
「声掛けてあげてください」
と言われ家族全員で父のことを呼んだ。
皆泣きながら父を呼んだ。
気丈な母が初めて涙を滲ませていた。

泣き虫なわたしはずっと泣きじゃくったままだ。
「いやだ!お父さん!いや~~~!」

ますます苦しそうな呼吸をしだした。
そんな中、口をパクパクさせて何か言おうとしている
「お父さん、何?なんて言ってるの?」
聞いても口を動かすだけで聞き取れない。

そのまま静かになってしまった。

一度だけいびきをかいたみたいに「がーっ」という声を発して静かになった。
表情は苦しそうなままで…

ドラマのようにペンライトのような器具で瞳孔を見たあと腕時計を見て
「今、逝かれました。10時31分です」
と静かにおっしゃって深々と頭を下げられた。


「お父さん痛かったろうし、えらかった(”しんどかった”の意)のに
よく頑張ったね。お疲れさま」
と声を掛けた。
そして母にも労いの言葉をかけた。
2人とも本当に本当に大変な日々だったし。

家族で最期を看取ったあと
病室の荷物をまとめて外へ出すと看護師さんが
2人で父の身体をきれいにケアしに来た。

母と夫は一足先に帰り父を家に迎える準備をしに帰った。

私と弟は葬儀屋にきてもらう段取りをして父と一緒に帰ることにした。


ケアのおわった父はヒゲもきれいに剃ってもらい着物も着替えさせて
もらい男前にしてもらった。
悲しいことにまだ苦しそうに口を半開きにした表情をしている。
本当に最後の最後まで苦しんだのだろうな。

ほどなくして葬儀屋さんが到着し父を乗せたストレッチャーが
地下へ下りて行った。

暗い裏の通用口から父は帰って行くことになってしまった。
靴を履いて入院の時に着ていた服と帽子をかぶって退院できることを願ってたのに。

病院から10分ほど、日付が変わる頃に
父は元気になって帰りたかったであろう我が家へ帰ってきた。






久々に読んで今またあの悲しい別れの瞬間がはっきりくっきり甦ってきてしまいました
やっぱ肉親の最後の別れっていつまでたっても辛くて悲しくて…
今読んでもせつのうございます(涙)

丸2年経った今でも孫を見せてやれなかったことが悔やまれて
しょうががありません…
そのほかにも父とは色々話もしたかったし
やってあげたいことも山ほどありましたけど…

どうか今度のETの成果が実り
仏前にて父に嬉しい報告が出来るのを願っているのですが…







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